日本版モンテクリスト伯。壮絶な運命と復讐劇。

『さんせう太夫』。高貴な身に生まれながら人買いの手に渡り苛烈な運命を乗りこえていく安寿と厨子王の姉弟の物語は、森鴎外によって『山椒大夫』として小説化され、溝口健二監督の手で映画にもなった。その映画『山椒大夫』はヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞を受賞するなど、波乱に満ちたストーリーは日本のみならず世界の人々の心をとらえた。森鴎外の小説では親子・兄弟の絆に焦点があてられた情愛の物語として描かれ、それ以外の要素は捨象されているが、もととなった説法では、奴隷となった姉弟が受けた厳しい艱難辛苦、そして姉を犠牲に逃亡に成功した弟・厨子王が出世したのちの苛烈な復讐が重要な見せ場となっている。

 史実で見ていくと複数の別の時代、別の場所で起こった事件の要素を組み合わせて『さんせう太夫』という説教節が成立したようである。弟を逃がすために自ら犠牲となった安寿姫が受けた拷問、入水自殺といった劇的な要素は、厨子王の復讐劇をより強く際立たせるために創作されたものかもしれない。安寿姫が葬られたとされる京都府舞鶴市の佐織谷池に設けられた案内板には、屋敷から抜け出すのに成功した安寿が逃避行の途上、空腹のために行き倒れになったと記されているだけで、拷問や入水自殺といったことは書かれていない。

 いずれにしても村人たちの手で手厚く葬られた安寿の墓は佐織谷池のほとりに静かにたたずみ、今でも命日には宵祭りと称し、千本ものフロートキャンドルを池に浮かべて弔らいが行われている。

(文・写真:市原千尋)

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佐織谷池が築造されたのは江戸前期。海が近く河川には潮が交じるので農業に適さず、このようなため池がいくつも山部に造られ、今も現役である。

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安寿姫塚。安寿と厨子王が生きたのが平安末期のこと。池は江戸時代の築造なので、当時のこの場所は池のほとりではなかったかもしれない。

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休憩所には、古い絵巻が模写された木製パネルがあった。海上で人買いに襲われるシーンであろうか。

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佐織谷池への入口。狭い鉄道ガード下をくぐって、山の方へと上っていくと500mほどで池に着く。後ろは舞鶴湾。

 

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安寿と厨子王の悲劇も思えば海難からはじまった。今回の旅のお伴は、ソマリアなどで海上の護衛任務でも活躍した海上自衛隊をモチーフにしたJSDFソーラー・スタンダード。写真はメタルバンド・バージョン。