2015.8.4

平たい真珠

マリンマン・シーホースやエスパイのダイヤルに採用されているMOP(Mother of Pearl)は、日本語で「真珠層」あるいは「真珠母」という。これらは上品な虹色の輝きを放つが、見る角度によって変化するし、天然のものだけにひとつひとつ個体によっても、赤色が優勢なものから青色が勝るものまで様相は異なる。冬の高緯度地方に「真珠母雲」という美しい虹色の雲が浮かぶことがあるが、その名もまさに、この真珠母のような玉虫色の色合いだからだ。

球体をした宝石の真珠は、アコヤガイ・シロチョウガイ・クロチョウガイ・オウムガイ・アワビ(この種の貝としては珍しい巻貝)など特定の貝類の体内に偶然、あるいは人為的に埋め込まれた物体を、貝が防御反応として真珠層で包むことでできたものだ。余談だが古代生物のアンモナイトも、分類上は貝類ですらなく「殻のあるイカやタコ」なのだが真珠層を持ち、それが化石化したもので質の良いものは「アンモライト」という宝石扱いになる。

それに対し、ここでいうMOPはそれと同じものが貝殻の内側を覆っている、その層を削り出したものである。真珠もMOPも、どちらも貝が分泌した体液が沈殿したものであって、同じ物質から成る。ただ貝が、明らかな異物である真珠核をMOPで封じ固めて身を守るという話はともかく、貝殻の方にMOPを塗りたくる理由は何か?どうやら貝殻の内壁を滑らかにして貝の身との密着を良くし、隙間から異物や寄生虫が入りにくくするためらしい。環境や貝の種類にもよるが、たった0.1mmに数ヶ月もかけて。なお丸い真珠の場合、真珠層厚が最低0.4mmぐらいはないと内部の真珠核が透けてしまうので、商品としては不足とされる。

IMG-0030

マリンマン・シーホース ブラックMOP。シロチョウガイのMOPを加工したダイヤルである。ベゼルも黒になって重厚さが増したバージョンが新登場した。

DSC_0337

エスパイ・オープンワークト ブラックMOP。同じブラックMOPでも優美さが重視されたデザイン。


何百層のシャボン玉

MOPが虹色の光沢を放つのは、シャボン玉やCDと同様、「光の干渉」という現象による。高校の物理で登場する話題だが、ざっと概略を述べたい。

MOPは、厚さ数百から数千分の1mmという薄い板状の炭酸カルシウム(貝殻の主成分と同じ)結晶が、レンガ状に積みあがった構造をしている。個々の結晶はキチン質(カニの甲羅などの成分)などをセメント代わりとして接着されている。そのような材料にもかかわらず、全体としてはヤング率(変形しにくさの指標)で言うと金属なみの強靭さを誇るが、炭酸カルシウムは酸に弱いため、真珠層が露出している宝飾品は取扱いに注意が必要だ。

さて、光がこの結晶表面に当たると反射するが、結晶は半透明なため光の一部は結晶内部に入り込み、一番底の面で反射して、また結晶表面の外に戻ってくる(そうならずに更に下の層の結晶に突入する光もまた一部ある)。すると最終的に、最初から結晶表面で反射していた光と、一度結晶内に入った光とが並走する形になる。このとき、条件次第で2つの光の強さが足し合わされて強くなる場合と、打ち消し合って弱まる場合とがあるのだ。

その「条件」に関わってくるのは(単純化して考えるとだが)光の入射角、結晶の厚さ、それに結晶内での光の屈折率で、うち屈折率は光の波長すなわち色味ごとに違っている。この結果、「ある角度から見た場合には」「ある色味の光だけが」強めあってハッキリと見えることになる。さらにMOPの場合、シャボン玉やCDとは違って、前述のとおり1層ではなく多数の結晶層で反射してきた光が複雑に重なり合うことになり、さらに各結晶の厚さも同一ではないため、より複雑な反射パターンが見られるのである。なお、結晶が厚いと波長の長い赤い光、薄いと波長の短い青や紫の光が強められ易くなる。

refr0

太陽光などの白色光は赤(波長が長い)から紫(波長が短い)まで、様々な色の光が混ざったものである。光は水中やガラスなどの内部に斜めに射し込むと屈折するが、波長の短い光ほど屈折されやすいため、三角プリズムを通すとそれぞれの色の光に分離される。雨上がりの虹も同じ原理である。
斜めに入った光が屈折するのは、その物質中に入ると光が減速されるため、「(先に踏み込んだ方の)車の片輪がぬかるみにはまる」ような形になるからだ。この減速度合いを屈折率と言い、屈折の急激さ度合いにもつながる。同物質中でも波長が短い光ほど屈折率は大きい。

refr1a

MOPの炭酸カルシウム結晶の表面で反射した光①と、内部に射し込んだあと底面で反射した光②とで、光波の山・谷が一致していると、両者はそのまま合計されて強まる。ずれていれば一部、または完全に打ち消し合ってしまう。ただし結晶が厚いと②の量は減り、あまり影響しなくなる。
その山・谷が揃うのは、光の波長をλ・結晶の厚さをd・結晶の屈折率をn(λにより変化)・屈折後の光の垂直からの角度をθとしたとき、「2nd(cosθ)/λ=奇数」という条件がたまたま成り立つ時である。
その結果、このような薄い半透明層で光が反射する場合、「特定の方向には特定の色の光だけが強く反射する」ことになる。

refr2

MOPのある個所から紫の光①+②が強く反射して見えるとき、より曲がりにくい緑の光③+④がもう少し手前の位置で、より急角度から入射すれば、それもまた強い反射の条件を満たせる可能性がある(白色光が周囲あらゆる方向から照らしていれば、その中に都合のよい方向を向いた緑の光も含まれる)。さらにもっと曲がらない赤い光⑤+⑥がさらに手前で、ということもありうる。その場合、MOPの表面には虹色が見えるであろう。

refr1b

同色の光でも、結晶の2層目以下の入口または出口で反射してくる分⑦+⑧も存在する。この場合は結晶の間を埋めているキチン質での屈折率も関わってくる。また実際には結晶(やMOP全体)は完全に水平・均一な平板ではない。このため、実際の反射現象はさらに複雑だ。


MOPの加工

MOPの用途としては時計ダイヤルのほか、各種アクセサリー、螺鈿(らでん、ギリシャかペルシャが発祥と言われるが唐や日本の製品が有名で英語でも”raden”)細工、また楽器類にもしばしば見られる(鍵盤がMOPでできたピアノなどもある)。
こうした製品に仕上げるには、薄い材料なら貝を海水などで長時間煮て剥がすか、塩酸などで周囲の不要な部分を溶かし、厚いものは岩石カッターのようなもので切り出すことになる。切削する場合は微小かつ鋭利な結晶片が飛び散るので、防塵マスクやゴーグルが必要になる危険な作業だ。ついでに臭いもひどいらしい。むろん慎重に作業しないと割れたり剥がれたりしてしまうし、水を流して冷やしながらでないとカッターの摩擦熱で焦げることもある。ただ、最近はレーザー加工も登場している。
薄い製品の場合、裏面に塗料を塗ることで、さらに独特な色合いに仕上げることも可能である。
小さいMOPはそれほど高価ではないが、一定以上の大きさのきれいな(結晶層が平らに良く揃った)MOPとなると、急速に入手が難しくなる。真珠貝の養殖は広く行われているが、MOPの人工製造(模造真珠等ではなく天然MOPと同じもの)は2012年にようやくケンブリッジ大学で成功したばかりだ。