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トレンチ・ウォッチ

1910年代
懐中時計時代からの過渡期である第一次大戦期、腕時計は戦場で好まれ勢力を拡大した。別会社の製品が似通ったデザインになることも多く、イラストに挙げたタイプはその代表例。

銃はなくとも腕時計を

一次大戦期は懐中時計から腕時計への過渡期にあたるとともに、機関銃が猛威を振るった時代でもあった。同盟陣営・連合陣営とも迂闊に塹壕(トレンチ)から身体を出すことは自殺行為となり、双方とも前進できないまま戦線は膠着しがちであった。月に何十万人という兵が消耗品として死んでゆく非情な戦場であったが、そのような過酷な背景において、懐中時計よりもとっさに使い易い腕時計、いわゆる「トレンチ・ウオッチ」が、大軍の将兵たちに広まってゆくことになる。
敵塹壕と機関銃に対抗できる兵器として、複葉だが航空機や、大戦終盤には原始的な戦車も登場していたが、それで大勢に影響を与えるまでには至らなかった。敵塹壕線の突破手段として主力だったのは砲兵の移動弾幕射撃、すなわち一定地域に大量の砲撃を隙間なく集中させ、さらにその「絨毯砲撃」を次第に前進させて、露払いが済んだ後を追って(少なくとも敵機関銃兵が防空壕内に退避している隙に)歩兵が突撃することであった。必要なら砲弾の大雨でクレーターだらけになった地面に隠れながら進むこともできた。
しかし大量の砲兵・歩兵がこのような複雑な連携作戦を実行するには、各部隊の将校らが各々、信頼できる時計を持っている必要がある。無線通信も大戦中に進歩しつつあったが、例えばフランス軍などは第二次大戦においてさえ総司令部が伝書鳩で命令を飛ばしている有様であり、車載無線機で随時連携しながら神出鬼没に駆け回るドイツ戦車軍団に良いように蹂躙されている。
こうして流行ったトレンチ・ウオッチも、懐中時計をベースにコの字型の細い棒状ラグを取り付けたような形で、ここに革バンド(ケース裏部分にも革が通る二重構造タイプのものも多かった)を通して使用する。光の反射などで目立たないようにという配慮もあって、懐中時計同様のフタが付いた時計もあった。野戦軍は夜間屋外でも行動するので、ラジウム夜光塗料も必要であった。水や泥が入り込まないよう最低限の防水性・防塵性も必要で、当時そのためには本体をケースにねじこむ構造の「ボルジェルケース」式がベストであった。砲兵関係の場合は特に、テレメーター付き時計の需要もある。
このような要請や懐中時計時代の伝統、大量生産の必要性、それにムーブメントのラインナップがまだ限られていたこともあってか、トレンチ・ウオッチはロレックス等々、様々な会社が製造したにもかかわらず、酷似した何パターンかのデザインにおおよそ、まとまってしまうようだ。イラストに挙げたものもよく見受けられる様式で、ムーブメント(本来は女性用腕時計のムーブメントだったという)の構造上、秒針は見易いセンターセコンドではなくスモールセコンド式にならざるを得なかった。いかにも懐中時計的な丸い竜頭の下には、これまた懐中時計の名残で、竜頭を巻く際にロックを外すための小さなボタンが付いている。
1916年、英軍のB・C・レイク大尉が書いた将校向け指南書には、前線に持っていくべき装備の筆頭に、「リボルバー拳銃」や「水筒」を差し置いて「ガラスの割れない夜光腕時計」が挙げられている。なお大戦当初、本来貴族の役目である英軍将校は時計も拳銃も自前で用意しなければならなかったそうだが、のち人的損耗により平民出身の将校が増えてくると、腕時計が支給されるようになった。また英軍の下士官兵も、4人に1人は腕時計を持っていたらしい。終戦後はこうした時計が大量に余ったため、ブロードアロー(英軍官給品であることを示す矢じり形の刻印)を消したうえで市井に放出されることとなった。