2015.6.26

まずは隙間を塞ぐこと

人類がいかに時計に防水性を必要としているかの証左と言うべきか、まだ腕時計や懐中時計自体が一般的でない時代にもかかわらず、17世紀ごろにはすでに防水時計というものが研究され始めていたらしい。そして誰でも最初に考え付くことは、時計自体を丸ごと、何か防水性のある容器に放り込んでしまうことであった。なにぶん金属加工の精密さが足りない時代には、時計ケース本体の継ぎ目から簡単に浸水しかねなかったからだ。しかしこの方式では竜頭などを操作できなくなるし、大きさも嵩張り、時刻も見にくい場合が多いだろう。最初の進歩は20世紀を待たねばならなかった。

1922年のロレックス・ハーマティック腕時計は、円筒形をした時計本体の周囲にネジが切られており、それを環状の外殻にねじ込むことで、コンパクト性を保ちつつも防水性を向上させていた。これは1880年、スイスのフランソワ・ボルジェルが発明したネジ式ケースを元にしているようである。しかし竜頭は大部分が外殻に埋もれる形となり、操作のためには一旦本体を外さなければならなかった。時刻合わせは別としても、ゼンマイを巻くために毎日のように本体を出し入れするのは面倒であったし、何より、頻繁な出し入れはネジ山を摩耗させ、せっかくの防水性を損なってしまうのだ。

その竜頭自体も、浸水の主な発生源であった。この頃イギリスのジョン・ハーウッドが自動巻き機構を発明し、竜頭を廃止することも(時刻合わせのことを別にすれば)一応可能となるのだが、一方でポール・ペレゴーとジョルジュ・ペレがねじ込み式竜頭を発明したことで、竜頭を残したままでも防水性を向上させられるようになった。これはゼンマイを巻く方向と逆に竜頭を回すことで、竜頭全体がケースに食い込み、水密性を確保するものである。さらに、ゼンマイがある程度ほぐれてこないと竜頭は回らないようになっている。ただ竜頭とケースの間のパッキンには革・コルク・フェルトなどが使われていて、耐久性に問題はあったようだ。

1926年、ロレックスはこのねじ込み竜頭を完全に引き抜けるようにしたものを、従来のねじ込みケースと合体させ(本体をはめ込んでから竜頭を挿入することになる)、ロレックス・オイスターを製作した。翌年、イギリスの女性水泳家メルセデス・グライツがオイスターとともに英仏海峡を泳いで横断したことで、その際15時間にわたり全く無事だったオイスターは脚光を浴びた。ただしこれが女性の初横断でも最速記録でもないことや、グライツがオイスターを腕にはめていたのではなく首から提げていた(腕よりは時計にかかる負担は小さい)ことは、見逃されがちである。

oyster

ロレックス・オイスター。オイスターはカキ貝を意味する。実用的防水時計のハシリとして有名。ザブトン型のケースは存在感があるが、実際は幅30mmもない小ささである。


防水から潜水へ

オイスターが名を挙げたことで触発されたか、他の時計メーカーも防水時計界に進出を開始した。カルティエは1932年、モロッコ・マラケシュの太守(パシャ)ターミ・エル・グラウイの注文で、彼が自宅のプールで泳ぐ時用の防水時計を製作した。これは竜頭に別途、ねじ込み式の防水カバーが付いているもので、カバーは短い鎖で繋がれていた。

同じ年オメガも、「ねじ込み」ではなく「はめ込み」式外殻という新機軸を打ち出した。オメガ・マリーンである。ねじ込みよりも開閉は楽で、上下両ピースはツメで留めるだけだったにも関わらず、「防水」のオイスターなどとは一線を画した「潜水」時計のパイオニアと言われている。1936年レマン湖でのテストでは、85℃の熱湯に浸けたマリーン2個を水深70mの湖中に30分間沈めたが(温度差試験は前述の現代ISO規格にも存在する)、全く問題は生じなかった。

マリーンには1939年に廉価版が登場したが、こちらは20mほどの耐圧性しかなかった。ガラスを内側からはめ込む方式にしたことが大きな弱点になったようだ(外側だったなら水圧でガラスが本体に密着してくれる)。

omega marine

オメガ・マリーン。ある種の携帯灰皿のような構造をしている。初めて人工サファイアクリスタルを採用した時計でもある。これもまたラグ部含め40×24mmという小型サイズだ。


実戦任務

イタリアがエチオピア侵攻を開始した1935年、イタリア海軍はパネライ社に潜水特殊部隊用の時計開発を発注した。こうして、パネライ・ラジオミールのシリーズが誕生する。

初めからフロッグマン部隊用として計画されただけあって、ラジオミールには実戦における想定要件が盛り込まれていた。まず、小さかったオイスターやマリーンと違って、ラジオミールシリーズはどれもケース径45mm前後の大きさがあり、文字盤は(アラビア数字インデックスのものと線インデックスのものがあるが)一様にシンプルなデザインで、読み易さを重視している。ラジオミールの名の由来になったのは針とインデックスがラジウム塗料により発光することで(当時は放射線安全対策が不十分だったため工場の女工に被曝者が多発する悲劇もあった)、それを目立たせるために文字盤は真っ黒い。のち、後継シリーズとして登場する「ルミノール」には竜頭をレバーで押さえつけて浸水を防ぐ機構も盛り込まれるが、ともあれオイスター登場からわずか10年ほどで、とりあえず浸水しないことが先決だった時代から、実用上の使い易さが追求され始める段階に移っていったのだ。

そのイタリア潜水部隊の最大の晴れ舞台は、1941年12月19日の「EA-3」作戦であろう。ルイージ・D・デラペンネ中尉ら6人の隊員が3台の特殊潜水艇(「人間魚雷」と称されることもあるが実際は魚雷型をした大型の水中スクーターのようなもの)に分乗し、英領エジプトのアレクサンドリア港に潜入。艦底に時限爆弾を仕掛けて英戦艦「バリアント」「クイーンエリザベス」を撃沈、駆逐艦「ジャービス」と油槽船「サゴナ」も大破せしめた作戦だ。デラペンネと部下のエミリオ・ビアンチ兵長は爆発前に発見され、バリアント艦内、それも爆弾設置個所付近に拘束されたが、腕時計を確認して爆発10分前(15分前とも)になったことを知ると爆弾の設置をあえて公言し、艦内が混乱している隙に脱出した(最終的には6人全員逮捕され、捕虜となった)。英海軍は当分の間地中海での活動を縮小せざるを得ず、有名なロンメル大将率いる北アフリカ戦線の枢軸軍は補給がだいぶ楽になったという。

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パネライ・ラジオミール。アレクサンドリア襲撃作戦で隊員たちが実際に使っていたモデルがどれかは不明だが、これは1940年型のもの。ただし、ラジオミールのムーブメントはロレックス製であった。


完成形

1943年、フランスの海洋学者ジャック・イブ・クストーと技師エミール・ガニアンがアクアラングを発明すると、ダイビングの活動範囲は大きく拡がった。1953年のブランパン・50ファゾムスは、そうした時代に合わせて登場したものであり、すでに現代のダイバーズウォッチにかなり近いものにもなっていた。外見上もハッキリわかる特徴として、50ファゾムスはボンベ残量の限界時刻を指示するための回転ベゼルを備えており、またこれは安全上の理由から、残り時間が短くなる方向にしか回転しない「単方向回転ベゼル(逆回転防止ベゼル)」となっていた。潜水中に誤ってベゼルを動かしてしまった場合(かつ動いてしまったことに気付かなかった場合)、残り時間を過大評価することは死を意味するからである。ISO6425にわざわざ回転ベゼルに関する記載があるのは、ここが出発点であったといえる。むろん回転ベゼルにも夜光表示があり、暗黒の海中でも用をなすようになっている。

さらに1967年、ロレックス・シードエラーにヘリウムガス抜き弁が搭載された。大深度の潜水では通常の空気は使用できず、ヘリウムと酸素の混合ガスを使用し、また、体を慣らすためにやはり混合ガスを詰めた減圧室を経由する(これを怠って急浮上などすると気泡が血管に詰まり死ぬ)。すると加圧時に高圧のヘリウムガスが時計内部に入り込む。時計が水密ではあっても気体、特に分子の小さいヘリウムガスは侵入が可能なのだ。そして減圧時、そのガスをそのままにしておくと、時計が脆弱な内側から破裂するおそれがあるのである。他に、時計内部をあらかじめ油などの液体で満たしておく方式もあるが、機械式では抵抗が増してムーブメントの動きが悪くなるため、クオーツでしか採用できない。

しかし水圧耐性についてはそれより前の1960年、厚さ36mmもある(実用時計とは言えないであろう)特製のロレックス・ディープシーチャレンジが水深1万mを超すマリアナ海溝最深部に到達し、ある種の終着点に達している。人間の潜水深度世界記録は、2014年にエジプト潜水部隊(陸軍?)のアフメド・ガマル・ガブル中佐が達成した332mでしかない。

Blancpain50fathoms

ブランパン・50ファゾムス。ファゾムは水深単位の「尋」(約1.8m)を意味し、50ファゾム=約91mの耐圧性を謳う。クストーもドキュメンタリー映画「沈黙の世界」で装着していた。仏海軍仕様・米海軍仕様などのバリエーションも存在する。