月日ハ百代ノ過客ニシテ。

 俳聖・松尾芭蕉。「おくのほそ道」を著した江戸時代の俳諧師が、140日余にわたる奥州への旅に出たのは元禄二年(1689年)の春だった。

 この長旅に出発するまで芭蕉が小さな庵を結んで起居していたのが隅田川のほとり、江戸・深川である。現在の深川は中小の町工場と住宅がところ狭しと並ぶゼロメートル地帯。隅田川とを隔てるコンクリートの堤防は城壁のように視界を遮っているが、芭蕉が句想を練るときは庵の窓から川の流れを眺めていたことだろう。

 俳聖と崇められるようになったのは「おくのほそ道」を著したのちの死後のことで、当時は江戸俳壇でひとつの勢力をなした一派の宗匠だったとはいえ、全国に出れば無名に近い存在だったようだ。その芭蕉が住んでいた草庵さえも人に譲り、まさに無一物で奥州の長行脚へと旅だったのは42歳のことだった。

 芭蕉庵は火事などで移転したこともあり、三ヶ所はあったと見られている。芭蕉庵に関してはいくつか絵が残されているが、共通するのは粗末な一間の草庵にジャパニーズバナナとも呼ばれるバショウが植えられ、飛び石と古池が配されている。この古池が「ふる池や蛙飛こむ水の音」の句のモデルというわけである。

 この小さな庭池にほんとうに蛙が飛び込む姿を芭蕉が見たかどうかは分からないが、池の飾りに石でできた蛙を置き、こよなく愛していたようである。この石の蛙を眺めているうちに、芭蕉の耳にそんな音が聞こえたのかもしれない。

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芭蕉稲荷。隅田川河畔のゼロメートル地帯の路地にひっそりとたたずむ。

家屋や工場に囲まれた路地だけに、よく気をつけていないと見落としそう。

 

偶然がもたらした蛙の発見

 東京で500名以上の犠牲者を出した大正六年の大津波は、実際には台風による高潮である。この自然の猛威のあと、偶然にも松尾芭蕉が愛好したといわれしばらく行方不明になっていた蛙の石像が発見された。誰かがひそかに持っていたのか、土の中に埋もれていたのか、はたまた池の底にでも沈んでいたのかは分からない。いずれにしても隅田川流域から大水が引いたあとに、ぽつんとそれは残されていた。
この石蛙が発見された場所が芭蕉庵跡というわけではないだろうが、現在は芭蕉稲荷が建てられている。
稲荷に置かれている石の蛙はレプリカであろう。本物は資料館に展示されている。

 ここの案内板によると、芭蕉庵はしばらくのあいだ所在が不明になっていたが、この近辺から芭蕉が愛用したとされる石の蛙が発見されたことから、芭蕉庵の所在地として認定されたとのことである。

 いま芭蕉庵をしのぶ跡地は小高い堤防の上にあり、隅田川を見据えるように芭蕉像がある。その目線の先を舟が行き交っていた。 

(文・写真・絵:市原千尋)

すぐ近くには江東区芭蕉記念館も。入場有料。

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やはりほど近くの清澄庭園は名勝としても指定された庭園。入場有料。

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清澄庭園内にある芭蕉句碑。「古池や〜」の文字が見える。

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今回の旅のお伴はスカイマン・パイロット。飽きのこない定番的なシルバー。シンプルゆえに旅によく馴染む。

芭蕉庵史跡庭園は芭蕉稲荷から隅田川河畔に出たところにある。俳聖・芭蕉のブロンズ像。その視線の先には、隅田川を行き交う舟があった。

江戸深川